2016/12/02

MRETアクティベーターについて

ヴィソツキー博士の講演会の終了後に数名の参加者の方から話しかけて頂いたことは普段孤独な作業をしている私には特に印象深いことだった。できれば時間の許すかぎりお話したいところだったが、挨拶程度でお別れしなくてはならなかったことは心残りではあった。

その後、七沢研究所の方々と夕食を共にしたあと、ホテルの前で羽田空港に向かうリムジンバスに乗りこんだドクターを見送った。後に届いたメールによると羽田発の飛行機が遅れたため、キエフまでの乗り換えも大幅に遅れが出たそうである。

ようやくゆっくり寛げると思ってホテルに入ったところ、スマホに何件かメールが届いていた。驚いたことに、それはつい数時間前の講演会に参加された方からのMRETアクティベーター注文のメールだった。

MRETアクティベーターについては、かつては小冊子『MRETウォーター』も作って普及販売していたが、研究内容の無断盗用が続発したためにこのブログでは情報公開を中止している。ヴィソツキー博士の研究に対するリスペクトもなく目先の利益のために無断で情報を流用しようとする者がいるかぎり、この方針を変えるつもりはない。しかしMRETアクティベーターの購入者には難しい理論はともかく、実践的な面で適切なサポートをしていきたいと考えている。

また皆さんもご存じのとおり、アメリカ大統領選以降に為替レートが急激に変動している。為替レートが10%も変動すると商品だけでなく輸送コストも高騰するため、来年以降はMRETアクティベーターを値上げせざるをえないかもしれない。年内にご注文頂いた方は現行の価格のままなのでご安心頂きたいが、来年以降は価格を改定する予定なので、購入を検討されている方にはご了承頂きたい。

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2016/11/25

東京講演会

ヴィソツキー博士の講演会は予定時刻を少し過ぎてから開始された。初めに七沢研究所代表の七沢賢治氏の講演に引き続き、ドクターによる元素転換の講演が始められた。

講演内容自体は、5月に奈良で行なわれた第2回フリタージュ会議とほぼ同じだったが、今回は元素転換とMRETウォーターについて各1時間のスケジュールだったため、ドクターにはあらかじめCCSなどの理論的な部分は省略してもらうように依頼していた。
ドクターもその点は配慮してくれたが、それでも時間内に収めるのはかなり厳しい試みだった。

特に今回はこれまでの会議とは異なり、ヴィソツキー博士の研究について予備知識をもっていない方が多かったので、そのあたりもできるだけ配慮したつもりだが、どこまで伝えることができたのかについては定かではない。

もう少し時間があればというのは言い訳になるが、ともかく限られた時間の中でポイントを踏まえて切り込んだつもりである。後は質疑応答のときにフォローしようと考えていたのだが、時間が押して打ち切りになってしまったのは残念だった。

今回の講演会には日本各地から多くの方に参加して頂いた。貴重な時間をさいて参加して頂いたそれぞれの方が、この講演会を通して何かをつかんで頂けたのであれば、ドクターも私も嬉しく思う次第である。また講演会を終始サポートして頂いた七沢研究所の方々には改めて感謝の気持ちを表したい。

人との出会いは一期一会だという。次にこのような機会があるかどうかはわからない。それでもそれぞれの道を進んでいけば、いつかまた肝胆相照らす日が訪れるかもしれない。

本当に頂上を目指している者は、頂上を目にすることはない。自分の足元を見つめて一歩ずつ進むことしかできない。それでも周りの風景はほとんど変わることもなく、登っているのか迷っているのかわからなくなる。しかし、たどり着いた者だけがそれを語ることができるのである。それは遠くから頂上を眺めて一歩も進まない人間にはわかりえない世界である。

いつかまた、たどり着いた所で語りあうことを私もドクターも楽しみにしている。


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2016/11/18

福島から東京へ

福島大学から駅前の除染情報プラザに戻ると、私たちは預けていた荷物を受け取って新幹線に乗りこんだ。東京駅に着くとそこから新宿に向かうタクシーに乗ったが、ドクターはしきりに写真を撮っていた。

東京都庁前の京王プラザホテルに到着すると、都庁を見上げていたドクターはシンガポールにも同じようなツインタワーがあると言っていた。ホテルにチェックインしたあと、七沢研究所の方々と会食をともにしたが、ヴィソツキー博士の研究やこれまでの経緯について相互に理解が深まった一時だった。

翌日、講演会を行なう会場に向かうためにホテルのロビーで七沢研究所のスタッフの方と待ち合わせの約束をしていた。私とドクターはエレベーターでロビーのあるフロアに向かったが、ここでドクターが場所が違うと言い出した。私は不審に思いながらも、そういえば天井のシャンデリアの形が少し違うことに気がついた。

ドクターはここではなく別のフロアではないかと少しパニックになりかけていたので、私はホテルの従業員に別のフロアにも受付けロビーがあるかどうかを尋ねたが、ここだけだという返事だった。おかしいなと思いながらもそのロビーを進んでいくと右手に曲がるコーナーがあり、そこでようやくスタッフの方と合流することができた。

タクシーに乗って講演会の会場となるホールに向かうと、80名ほど収容できる大きな会場だった。これまで私はフリタージュ・ブックスの購入者とお会いしたことは数えるほどしかなかったが、今回の会場は東京ということもあり、以前にお会いした方も何名か参加されていたことはとても嬉しく思われた。

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2016/11/08

環境放射能研究所

仮置き場や仮設住宅を見てまわったあと、私たちは再び福島駅前の市街地に戻ってきた。運転手の山本さんに福島大学の場所をたずねると、駅から少し離れた小高い山の中にあるという。「行ってみますか?」と言われたので、つい反射的に「行きましょう。」と答えたのだが、環境放射能研究所からは全く返事が届いていなかった。ともあれ行ける所まで行くだけである。

緑豊かな山あいの道を進んでいくと、福島大学を示す標識が見えてきた。校門のゲートを通過すると経済学部の校舎の前に地図があったので、とりあえず大学の事務局に問い合わせることにした。

事務局に入った私たちは大学の職員に研究所の見学目的を伝えると、研究所の方に連絡を取ってくれた。しかし15分ほど待っても誰も来る気配がない。しびれを切らせてもう一度職員に確認すると、ようやく研究所の職員が現れた。

私が事前にメールで連絡した経緯を伝えると、メールを見落としていたらしいとの返事で、研究所を見学させてもらえることになった。

研究所の職員と私たちは構内の曲がりくねった道を歩いていき、環境放射能研究所の研究棟にたどり着いた。研究棟は比較的新しい建物で、隣ではもう一つの研究棟の増設工事が行われていた。

私たちは職員の方に案内してもらい、様々な分析装置や研究試料の保管室などを見てまわった。また現在は共同スペースの研究室で各研究者が作業に従事しているとのことだった。

Imgp3157a_2大学の職員に元素転換といっても不審に思われるかもしれないので、ドクターは微生物を使用した除染方法の研究をしているとだけ伝えておいた。ドクターにとってはこの研究所の充実した設備はうらやましく思われたようである。ともあれ、結果的に所期の目的を達成することができたことは何よりだった。

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2016/10/28

福島の光と影

福島を訪問するに当たって私は事前にいくつか目ぼしい候補地を探していた。福島原発の現状をドクターに見てもらいたいと思って東電に問い合わせたが、スケジュールが一杯で対応できないと断わられた。ヴィソツキー博士の講演会に参加を予定していた福島在住の方に連絡をとると、福島駅の近くに除染情報プラザという施設があり、また福島大学には環境放射能研究所があるので対応してもらえるだろうとのことだった。

そこで仙台に向かう前に環境放射能研究所にキエフ大学の教授と訪問するので見学させてほしいとメールを送ったが、返事は返ってこなかった。この研究所にはドクターと同じキエフ大学の研究者もいたので個別にメールを送ってみたが、当日は海外にいるとの返事だった。

福島駅に到着したのは正午近くだった。駅から少し離れたビルの1Fに除染情報プラザがあった。そこにはガイガーカウンターで放射線を測定するコーナーや福島の現状の取り組みを示す資料が多数展示されており、ドクターはそこの所長にいろいろと質問していた。私たちは他に除染の現状を見られるところはないかと尋ねると、ハローワークの近くに汚染された土壌の巨大な仮置き場があり、その横に仮設住宅があることを教えてもらった。

除染情報プラザに荷物を預かってもらい、私たちは駅前のタクシーに乗りこんで仮置き場に向かった。強い日差しが夏のなごりを感じさせる日だった。森田さんの話しかけに応じて運転手の山本さんは福島の被災者の現状を淡々と語ってくれた。自治体によって補償の格差が生じていたり、賠償金でギャンブルに手を出す人もいれば家を建てた人もいるそうである。

Imgp3153aハローワークの横の仮置き場はそこそこ大きな運動場ぐらいの規模で、現在の線量を示すデジタル表示盤が設置されていた。おだやかな晴天に似つかわしくない異様なモニュメントだった。私たちは山本さんにお願いしていくつかの仮設住宅を見てまわったが、そこに住まう人の姿を見ることはなかった。

私にとって一番ショックだったのは、仮設住宅の外壁に花や音符のようなモチーフがカラフルに描かれていたことだった。住む土地や人とのきずなを奪われて、仮置き場の横のプレハブで誰が楽しげに暮らせるものか。復興という言葉の裏側で何がないがしろにされているのかを、私たちは知らなければならないのだろう。

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2016/10/23

誓いを叶える日

10月7日、この日私たちは仙台から福島、そして東京へと向かった。七沢研究所のスタッフの方とはAM10:00に仙台駅で合流する予定だったので、9時半にホテルをチェックアウトして駅に向かった。

その途中にICCF-20の会場になったAERビルがそびえ立っているが、私はタラセンコ教授のポスターのことを考えていた。彼は私にポスターをプレゼントしてくれるといっていたが、勝手にポスターを剥がすのも気が引ける。合流時刻も近づいていたし、せっかくのご好意だが諦めるしかないか。。

そう思いながら会場のビルを通り過ぎようとしていたら、突然ドクターが「タラセンコと話をしたんだろう?ポスターを取ってくるからここで待っててくれ。」と言い残してビルの奥に消えていった。私はあぜんとしながらも、そういえばドクターとタラセンコ教授は長年の友人だと言っていたことを思い出した。おそらく昨日私が帰ったあとにタラセンコ教授がドクターに伝えてくれたのだろう。

ほどなくしてドクターは自分のポスターとタラセンコ教授のポスターをかかえて戻ってきた。ポスターが手に入ったことも嬉しかったが、私のために二人が協力してくれたことがとても嬉しく思われた。

この日は秋晴れの好天だった。仙台駅で七沢研究所の森田氏と合流すると、私たちは福島に向かう新幹線に乗りこんだ。三年前に仙台でフリタージュ会議を開催したときにはスケジュールの都合で福島に立ち寄ることはできなかった。

チェルノブイリ原発事故を経験したドクターは、あのとき何もいわず窓の外を眺めていたが、その思いは切なく伝わってきた。私は次の機会があれば必ず福島を訪れようと心に誓っていた。そして今、その誓いを叶えるときが来たのである。

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2016/10/17

研究者との交流

10月6日、前日の一件で心身ともに疲労していたので今日はホテルで休息しておこうと考えていた。ところがタイミングよくシェーバーの電池が切れてしまい、買いに行く羽目になる。ついでといっては何だが、今回のICCF-20にはカザフスタン・カスピ大学のG・V・タラセンコ教授も参加していて研究レポートをポスターとして掲示していた。そのポスターの撮影だけしてホテルに戻ろうと考えていた。

ICCFの会場に到着するとタラセンコ教授のポスターを撮影する。タラセンコ教授の研究テーマは地質学におけるコールド・フュージョンであり、今回の研究レポートではカザフスタン・アルタイ山地に産出する球状ノジュールに関する組成分析が示されていた。それによるとノジュールの表層部には珪酸分が多く鉄分が少ないのだが、中心部に近づくにつれて珪酸分が減少して鉄分が増加しているという測定結果が出たというのである。

しばらく撮影に集中していると後ろから誰かが声をかけてきた。振り向くと背の高い紳士が穏やかな笑みを浮かべている。カザフスタンのタラセンコ教授本人だった。

私は数年前にメールを送ったことを伝え、なぜこのような鉄と珪酸分の相対的変動が生じたのかを尋ねたが、タラセンコ教授はあまり英語が得意ではなく明確な回答は得られなかった。助手の人が言うにはタラセンコ教授は早めに帰国しなくてはならないので、このポスターを私にプレゼントしてくれるということだった。思いがけない申し出に感謝することしきりである。

Imgp3143a_2
ICCFにはほかにも興味深い研究をしている人がいた。ある研究レポートを見ていると、原子核の構造はアルファ粒子が不均一なエネルギーで結合していることが記されていた。すると「Do you have any question?」と話しかけてくれる人がいた。その人は独自に研究をしているフィリペ・ハットという人で、戴いた名刺には国際コンサルタントと書いてあった。

アルファ粒子がクラスター構造を形成しているという考え方はケルヴランの核子クラスターの概念と同じである。そこで彼にケルヴランのことを知っているか聞いてみたが、あまりピンときていない印象だった。ちなみに以下は彼のサイトである。 http://www.philippehatt.com

ヴィソツキー博士やタラセンコ教授、そしてフィリペ・ハットの研究はコールド・フュージョンの世界では異質かもしれないが、そこにケルヴランとのつながりが感じられることは興味深いことである。体は疲れていたが、実りある収穫に満足感を覚えた一日だった。

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2016/10/12

不測の事態

ドクターの講演も聞き、写真撮影もしたので私は会場を後にした。午後からはICCFの参加者はツアーに行くということなので、私は仙台の郊外にあるヒーリングショップを訪れることにした。ところがその道中で不測の事態に見舞われることになったのである。

そのヒーリングショップのサイトに記載されている最寄りの停留所を駅前のバスセンターで尋ねると、9番乗り場から発着するバスがそこを通るというので早速バスに乗り込んだ。

スマホのGマップで調べるとショップの場所は秋保温泉の近くである。ところが30分ほど走った所でバスが急にルートを外れて坂道を登り始める。「おかしいな。。」と思ったが迂回ルートなのかもしれないと考えていると、「終点 百合丘5丁目」というアナウンスが流れる。「終点?」

Dsc_0014_2仕方なくバスを降りたが目的地にはまだ半分も達していない山の中である。「どこだ?ここは。。」少し歩くと「尚絅大学」という施設が目に入った。ともかくこの山を降りないといけない。

40分ほど歩いてようやく元のルートに戻ったが、どこまで歩いてもバス停が見つからない。私のスマホはネットしかできないのでタクシーを呼ぶこともままならない。仕方なくGマップで現在位置を確認しながら歩いていく。しかしGマップではかなり近い距離に見えるのだが、実際にはおそろしく起伏がある道を歩かなければならなかった。

2時間ほど歩いて足が棒になりかけた所でラーメン屋を見つけたので遅い昼食をとることにする。「今ごろドクターは観光を楽しんでいるんだろうな。。」しかしいまドクターに連絡する手段はないし、たとえ連絡が取れてもドクターにはどうすることもできないだろう。

覚悟を決めて再び歩き出す。天候は曇り空だったが、幸い雨は降りそうにない。ICジャンクションを迂回して山あいの産業道路を歩いていると、ダンプカーやトラックが砂ぼこりを上げて立て続けに通り過ぎる。

もう一山越えれば先が見えてくるかもしれない。そう思いながら歩いていくと、バス停らしいものが見えてきた。その時刻を確認していると偶然にもバスが通りかかったので、思わず手を上げて乗りこんだ。「助かったー。」バスはさらにもう一山越えて進んでいく。「こんなところ絶対歩けない。ほんとに良かった。」

そう思って寛いでいたら、バスはまたルートを外れて山の方に登り始める。「まずい。」このまま乗っていても歩く距離が増えるだけだ。私は降車ボタンを押して、また山道を下って元のルートに戻らなければならなかった。

秋保温泉までは一直線のようだが、道が細く、歩道がないところもある。すでに歩き始めて4時間が経過していた。通り過ぎる車に注意しながら足を引きずって歩く。ショップの営業時間は17時までなので、それまでにたどり着かなければならない。最後の力をふりしぼってようやくショップの場所を突き止めたときには16時半をまわっていた。

ヒーリングショップのオーナーには若い頃にお世話になったが、仙台に移転してから訪ねたことはなかった。突然の訪問にも関らずお茶を出して応対してもらえた。いくつか商品を購入したあと、私は足が動かないのでタクシーを呼んでほしいとお願いすると、仙台のホテルまで送って下さるというので、その言葉に甘えることにした。10年ぶりの再会にいろいろな話をしているうちに仙台のホテルに到着したのでお礼を述べてお別れした。夕方の市内にはぽつぽつと雨が降り始めていた。

その夜、ホテルに帰ったドクターが私の部屋を訪ねてきた。仙台の観光を満喫したそうである。私は今日起こった出来事をドクターにはあえて伝えずに、「ショッピングに行ってホテルで休んでいた」とだけ伝えた。こうして何とか不測の事態を乗りこえた次第である。

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2016/10/10

ヴィソツキー博士の新しい研究

10月5日、ドクターはこの日新しい研究報告をICCF-20で公表した。

AM9:30から行なわれるプレゼンテーションの三番目に登場するそうだが、その準備のために一足先に会場に向かうという。私は軽い朝食をすませるとICCF-20の会場に向かっていった。

Imgp3075z今回の研究レポートのタイトルは「好気性共生微生物とメタン菌によるセシウム133とセシウム137の元素転換反応」というものである。その詳しい内容はいずれ改めて検討する必要があるが、その中のある実験では20日間でセシウム137の放射能が70%も減少したというデータが得られている。これはMCTによる元素転換反応よりもはるかに高い効率を示すものである。

各講演者の持ち時間は20分だが、前の講演者の話が長くなり、ドクターは実質的に15分程度しか話ができなかったのは残念である。それでも講演後には5~6人の参加者がドクターのまわりに集まり、ビデオ撮影をしながら熱心に質問していた。常温核融合の研究者の中にもドクターの研究に強い関心をもつ人がいることは喜ばしいことである。

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2016/10/06

ICCF-20

10月4日の早朝、私は仙台へと出発した。

すでにドクターからは10月2日に仙台に到着したという連絡が入っていた。岡山から東京まで新幹線に乗り、さらに東北新幹線で仙台に向かう。体力的には問題ないが、それでも長時間の移動はあまり好ましいものではなかった。

ドクターが参加するICCF-20は仙台駅の近くのAERビルの5Fで開催されている。そのためホテルにチェックインする前に荷物を持ったままICCFの会場に直行した。自宅を出発したのはAM9:30頃だったが、仙台に到着したのはPM4:00をまわる頃だった。

5Fに着くと会場になっている多目的ホールに入る。ちょうどポスター・セッションが行なわれている最中でドクターがとこにいるのか探したが、100名くらい入る大きなホールだったのでなかなかそれらしき姿が目に入らない。

セッションが終わって休憩に入り、各参加者の研究を掲載しているポスターコーナーを見ていると、思いがけずドクターと再会することができた。

この日のプログラムはこれで終了したようなので、いろいろと話をしているとフランスのJ・P・ビベリアン博士ともお会いすることができた。ビベリアン博士の研究レポートは『未来のフリタージュ』にも収録しており、その完成時にフランスに1冊送っているのだが博士はそのことをあまり覚えていないようだった。

ドクターと会場を後にしてホテル・メイフラワーに向かう。前回奈良で第2回フリタージュ会議を行なったときはドクターとは違うホテルに宿泊したため、次の日の予定を相談して時刻と場所をいちいち決めなければならなかった。そこで今回はドクターと同じホテルに泊まることにしたのである。

ホテルのチェックインを済ませると荷物を置いてドクターと夕食に出かける。第1回フリタージュ会議を行なったときには仙台の国分町のホテルに泊まったので、わりと近くに飲食店がひしめいていたが、今回の場所はどちらかというとオフィス街のため、食事のできる所を探すのに少し苦労した。

とりあえず店に入ってメニューの品を頼むと、出てきたのは鍋料理だった。ドクターは食事に関してはざる蕎麦以外なら大丈夫なので、鍋に肉を入れてポン酢で食べていた。その食事の間に今回の講演会のことや参加者の方々からお知らせ頂いたことなどを話した。また明日の朝には生物学的元素転換の新しい実験研究をICCFで公表するということなので、ちょうどタイミングよく参加することができそうだった。

出発するときにはかなり蒸し暑く、台風の影響が気になっていたが、仙台に着いてみるとまだそれほどでもないようだった。ともかく明日はドクターの講演を聞かなければならないので、早めに眠りについた次第である。

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