2017/12/08

イベントの顚末

11月24日、この日はAM10:30からホテルのロビーで七沢研究所のスタッフとのミーティングが行なわれた。ドクターに研究開発を依頼する内容だったが、日本とは異なりロシアやウクライナではわりと契約書の文面を重視する傾向があり、綿密な協議が行なわれた。

昼食を取ったあとは七沢研究所に移動して、さらにプロジェクトの詳細な検討が行なわれ、本契約の締結に至った。その後は明日東京で行なわれるイベントに関する打ち合わせがあり、夕方には再びホテルに戻ってスタッフの方々と夕食を共にした。

11月25日、AM10:00にホテルをチェックアウトし、私たちは甲府から上野に向かった。上野駅に着くとまず予約していたホテルに向かうが、案の定なかなか見つからない。さんざん歩き回った末にようやくドクターのホテルを見つけてチェックインの手続きをして、次に数百メートル離れた私のホテルに向かった。その後、私たちは七沢研究所のイベント会場を目指して歩いていくが、なかなかの距離があった。

イベント会場に着くと講演関係者であることを伝えて中に入れてもらい、今回一緒に講演を行なう久保田博士やスタッフの森田氏と合流した。久保田昌治博士はウォーターデザイン研究所の所長であり、活性水や機能水に関する研究のオーソリティーである。夏にお会いしたときにはあまりお話できなかったが、久保田博士はドクターの研究に強い関心を持たれていた。すでに『MRETウォーター・サイエンス』を七沢研究所からもらっていると思っていたが、読まれていないようなので持参していた二冊を差し上げた。

夕方になって私たちの講演は始まったが、どちらかというとパネルディスカッションのような形でそれぞれがコメントしていき、「水・ミネラル・元素転換」というテーマが語られた。さすがに1時間では本質的な議論は難しかったが、私たちなりの役割は果たせたと感じている。

イベント終了後は久保田博士と森田氏を初めとするスタッフの方々と夕食を共にしたが、ドクターはイベント会場で遅い昼食をとったためにあまり食が進まなかったようである。

夕食後にドクターは自分のホテルに戻ったが、私は別のスタッフと合流して二次会に行く流れになった。そこで終わりかなと思ったのだが、今度は浅草に移動して三次会が始まった。彼らにしてみれば会社のイベント終了後の打ち上げかもしれないが、私は明日ドクターを送らなければならない。適当に話を合わせてはいたが時間だけが気がかりだった。

ホテルに帰り着いたのはAM1:30だった。明日のことを気にしながらもまどろむ意識は沈潜していった。

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2017/12/04

成田から甲府へ

成田山からホテルに戻ると少し休憩をとり、6時から夕食を取ることにした。ところがホテルの1Fにあるレストランは今夜は貸切だという。仕方がないのでフロントでパンフレットをもらい、成田山の参道にあるsushi-SAKURAに行った。ここは寿司料理がメインのようだがカフェバーのような店構えである。私たちは炙り寿司セットとアサリの味噌汁、デザートにハチミツ入りのバニラアイスを堪能した。

ホテルに帰ると私は羽田から出国するために上野駅周辺のホテルを探した。しかしあいにく土曜日で空きがなく、近くのホテルに別々に泊まる予約を入れた。

ドクターの出国は日曜の深夜なので、夕方までは上野周辺で観光しようと考えていた。横浜に住んでいる弟に連絡すると合流できるという。弟は神奈川県警や皇宮警察に務めていたので東京の地理には詳しい。そこで5年前と同じように上野駅で待ち合わせて東京スカイツリーに行くことにした。あの時は仙台に行ってフリタージュ会議を行なう予定があったので、スカイツリーの展望フロアに昇ることはできなかった。今回はそのリベンジである。

11月23日、ホテルのレストラン「ステラ」で私たちは朝食を取ったが、窓の外はかなり雨が降っていた。私は近くのコンビニでビニール傘を買い、AM10:00にホテルを出発して甲府に向かった。

おそらく雨はじきに止むだろうと考えて、私は上野から静岡経由で甲府に向かうことにした。遠回りにはなるがドクターに富士山を見せたいと思ったのである。予想通り、静岡に着いたころには雲一つない快晴になり、私たちは甲府へと向かう身延線に乗りこんだ。私はドクターにゼムリアの本を見せて、いろいろと話をしながら窓の外の富士山を眺めていた。

甲府に着いたのは午後4時ごろだったが、ホテルにチェックインした後、周辺を少し歩いてみることにした。ホテルには中華やフレンチのレストランがあるが、ドクターは和食が好きなのでスマホで見つけたそば屋に行ってみた。ところがそこは休みだったので近くの台湾料理店に入ることにした。

ここではドクターの研究の経緯についていろんな話を聞くことができた。フライシュマンとポンズの常温核融合の研究を知ったドクターはそれが生体組織でも可能ではないかと考えたという。そして1992年から元素転換の研究を開始したが、このときすでにケルヴランの研究は知っていたそうである。そうするとドクターの研究活動は今年で25周年ということになる。ケルヴランの著作は1960年から1983年なので、ドクターのほうがケルヴランより研究のキャリアは長いといえるだろう。

現在、私は元素転換に関連するメタボライトの調査をしているが、ドクターもそれに関しては以前から注目していたらしい。おそらくこれはゲノムレベルのフリタージュ研究にもつながるはずである。

ホテルに帰る道でふと空を見上げると、甲府の空に冬の三日月が鋭い輝きを放っていた。

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2017/11/30

波乱の予兆

11月21日、私は電車を乗り継いで成田に向かっていた。次の日に来日するドクターを迎えるために。

私は旅が嫌いなわけではない。しかし小汚い都会の雑踏はどうも好きになれない。できれば風情のある田舎のほうが好きなのだが、ドクターの来日なら仕方がない。覚悟して臨むまでである。

11月22日、この日のAM9:45にドクターの搭乗した飛行機が到着すると聞いていたので、私は成田空港に向かった。成田空港にはターミナル1とターミナル2があるが、どちらに到着するかははっきりしていなかったので、とりあえず手前のターミナル2に向かった。ターミナル2の国際便到着ゲートに行くと、フライトボードにAM9:45のイベリア航空便がすでに到着していた。通関に1時間ほどかかると聞いていたので、そのうち出てくるだろうと気長に待つことにした。

ところが11時半が過ぎてもドクターはゲートから姿を見せなかった。出てくるのは後続の便の乗客らしくヨーロッパ系ではない。何かがおかしいと気づくのに時間はかからなかった。

ドクターの行動パターンを考えると、到着ゲートから出て下手に動くことは考えられない。そこで構内アナウンスをかけてもらったが一向にドクターの姿は見えないし、第一気配が感じられない。

このままここにいても無駄だ。そう思って一旦ホテルに戻ることにした。ドクターを迎えに行くだけだと思ってスマホや携帯は置いてきたが、ホテルに戻ると案の定、ドクターと七沢研究所から連絡が入っていた。それによるとドクターはターミナル2ではなくターミナル1で待っているという。

私はエレベーターでスマホを操作しながら、もう一度空港に向かった。ターミナル1の待合室にいるドクターを見つけたのは午後1時過ぎのことだった。
ドクターもパソコンからメールを送っていたが、私の返信はチェックしていなかったようである。ともかく最初の段階から今回の旅は波乱の兆候を暗示していたらしい。

ホテルのチェックインを済ませると、少し休憩して3時から成田山に行くことにした。夏は祭りの最中だったのでなかなか前に進めなかったが、今回は人通りも少なく、落ち着いた風情が感じられた。この時にドクターはデジカメを持っていなかったので、帰国するときにまた立ち寄ろうと何気なくいうと、羽田から帰国するからそれは無理だという。
「羽田?」

私はてっきり成田から帰国するものと考えてホテルの予約も済ませていた。羽田となると、これからホテルを探さなければならない。旅はまだ始まったばかりだった。

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2017/11/13

フリタージュ・ゲノムと共生進化論

原核生物の細胞融合から真核生物への共生進化が始まったことは今日の生物学においてもほぼ定説になっている。しかし現代の進化論においてもまだ解明されていない最大の謎がある。それはどの細菌とどの細菌がどんな形で共生関係を構築して、複雑な真核細胞の原型を作り上げたのかという問題である。

これに対して現代の生物学者は様々な仮説を提起している。比較的主流とされるものは「水素仮説」と呼ばれており、これはミトコンドリアの祖先のαプロテオバクテリアとメタン菌が細胞融合したというものである。しかし好気性のαプロテオバクテリアと嫌気性のメタン菌がどのような環境で共生関係になったのかは不明であり、また真核細胞にメタン菌のゲノムが残っていないという問題点もある。

この水素仮説以外にもエオサイト説やネオムラ説、TACK説、「生命の輪」といった仮説も提起されているが、いずれも同様の問題点を抱えており、この進化論最大の謎は解明には至っていない。

ここでフリタージュと進化の歴史を思い出してもらいたい。原核生物も真核生物も同様に元素転換能力をもっていることはドクターの研究によって証明されている。つまり生命の進化の歴史の中でフリタージュ反応をコードしているゲノムは失われずに残っているである。

私たちにはビタミンCが必要であるにも関らず、ビタミンCを体内で合成することはできない。それは私たちの先祖がビタミンCを含む果実を容易に入手できる環境にいたため、ビタミンCを合成するDNAが機能しなくなったためだとされている。ところが元素転換反応は原核生物・真核生物、あるいは嫌気性微生物でも好気性微生物でも発現している。それはこの反応を制御しているDNAが存在しているからである。

このDNAを仮にフリタージュ・ゲノムと呼ぶなら、おそらくそれは進化の過程の中で連綿と受け継がれてきたと考えてよいだろう。つまりこのフリタージュ・ゲノムを解読して、各微生物の遺伝子地図と照合すれば様々な仮説は自然と淘汰されてゆき、おそらく真核細胞の形成プロセスを確定することができるはずである。

このようにフリタージュ研究は単に元素転換反応だけではなく、生命の進化の歴史を解明する鍵にもなりうるのである。

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2017/10/26

ヴィソツキー博士の来日講演について

唐突ではあるが、来月の下旬にドクターが再び来日する予定である。

今回の来日は、昨年の講演会でお世話になった七沢研究所とのタイアップの関係だが、これに合わせて七沢研究所のイベントでドクターの講演を行なうことが予定されている。

今回の講演は七沢研究所のイベント内の一つの企画なので、水に関する研究がメインテーマになると思われる。そのため、元素転換に関する話は時間的にも少ないかもしれないが、ドクターの講演を直接聴く機会も貴重である。関心のある方は以下のサイトの「注目21」を参照のうえ、参加を検討して頂ければ幸いである。

https://logostron.com/user_data/logofes171125.php

なお詳細についてはまだ未定の部分もあるが、何か確認したいことがあれば当方までご連絡いただきたい。

昨年の講演会では質疑応答の時間がとれなかったのが残念だが、今回はぜひ皆さんといろんなお話ができることを願う次第である。

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2017/10/04

氷の女神は二度微笑む

マーギュリスが提唱した連続細胞内共生説、そしてそれに基づく共生進化論は現代では細部を除いてほぼ容認されている。しかしその進化のプロセスは必ずしも直線的に生じたものではないようである。

原核細胞は様々なバクテリアと共生関係を構築することによって真核細胞へと変化を遂げ、単細胞生物から多細胞生物へと進化していった。それはメカニズム的にいえば計算機からコンピューターへの進化ともいえるが、それと同時に機能的な安定性は失われ、故障のリスクも大きくなったといえる。それでもそのような道を選択せざるをえなかったのには理由がある。それは地球の全球凍結である。

地球の歴史上、様々な氷河期の時代はあったが、地球全体が凍結していた時期が過去に2回あったという。一つは約23億年前であり、もう一つは約7億年前のことである。

この全球凍結によって地球全体はいわゆる極限環境になり、その厳しい環境に適応していた生物もいれば絶滅した種属もいる。さらに全球凍結以降はシアノバクテリアの光合成によって酸素濃度が増加し、嫌気性バクテリアは独自の生存形態を選択することになった。それがいわゆる古細菌のメタン菌やテルモプラズマ属である。

その一方、αプロテオバクテリアやシアノバクテリアは原核細胞と共生することによって生存の道を切り開いた。これによって多細胞生物の適応放散が生じ、結果的にはカンブリア爆発と呼ばれる生物種属の多様化が実現されたのである。

このような進化の歴史をフリタージュの文脈から読み解いてみよう。太古の地球には原核細胞をもつ単細胞生物だけが繁殖しており、元素転換能力を含む必要最小限の生存機能をそれぞれの種属がもっていた。しかし全球凍結という最も過酷な状況に直面したバクテリアは固有の元素転換能力では対応できなくなり、その効率を高めるために細胞レベルの共生関係を構築したのである。(これはヴィソツキー博士のMCTの研究にも示されている。)

その結果、多機能性をもつ真核細胞が進化の主役になり、真核生物はその元素転換能力とともに独自の進化を遂げていった。メタン菌の高い元素転換の効率はその実例といえるだろう。

マーギュリスはガイア仮説の支持者だった。しかしガイアは生命を慈しむ愛情あふれる女神ではなく、むしろ進化を促すために厳しい試練を与えた氷の女神だったのかもしれない。

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2017/09/19

ミディ・クロリアンとフリタージュ

映画『スターウォーズ』の近作にはミディ・クロリアンというものが出てくる。このミディ・クロリアンは細胞に共生する知性をもった微生物であり、それが細胞内に数多く含まれていると<フォース>と呼ばれるエネルギー場をコントロールすることができるという。このミディ・クロリアンがいわゆるミトコンドリアをモチーフにしていることはつとに知られている。

ミトコンドリアとフリタージュ反応の関係性については『未来のフリタージュ』に記述しているので、ここで改めて触れるつもりはないが、共生進化論の観点から見ると興味深い点が浮かび上がってくる。
もともとミトコンドリアはαプロテオバクテリアであり、葉緑体はシアノバクテリアに由来している。それらが動物や植物の細胞と共生するようになって真核細胞は多細胞生物へと進化していった。そしてミトコンドリアによって私たちはエネルギー分子のATPを作り出せるようになり、植物は光合成を行なえるようになったのである。

ところがこの原核細胞から真核細胞への進化には一つの矛盾が存在する。いわゆる蛋白質の合成に関与しない非コードDNAが増加し、ゲノムサイズが格段に巨大化したのである。これはいわば単純な機械が複雑なメカニズムへと進化したともいえるのだが、それと同時に全く機能していないジャンクゲノムも増殖しているのである。

ゲノムサイズが大きくなるということは細胞分裂の時間もエネルギーもそれだけ余分に必要になり、生体組織の効率化という観点からも好ましくない。またDNAの複製プロセスにおいてもミスコピーの確率が高くなる。

そのような矛盾を孕みつつ細胞レベルにおける共生進化が行なわれているということは、私たちが気づいていない何か重要な理由が存在するのだろう。おそらくそれは細胞のDNAとミトコンドリアのDNAとの遺伝子レベルの共生化作用であり、それこそが元素転換反応という<フォース>を覚醒させるものなのかもしれない。

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2017/09/07

マクロコスモスとミクロコスモス

リン・マーギュリスという生物学者の名前を聞いたことのある人はそれほど多くないかもしれない。しかし天文学者カール・セーガンの妻と聞くと少しは関心も芽生えるだろう。

リン・マーギュリスがカール・セーガンと結婚したのはシカゴ大学在学中の1957年のことであり、彼女は若干19才の学士だった。その後、夫のセーガンがマクロコスモスの研究を進めていくのとは対照的に、マーギュリスは微生物や細胞といったミクロコスモスの探究を深めていった。
そして1967年に「有糸分裂細胞の起源」という論文を公表する。それは異なる細胞が融合して共生進化するという学説、連続細胞内共生説を提唱するものだった。

それまでの進化論はいわゆるネオ・ダーウィニズムと呼ばれ、たとえば氷河期のような厳しい気候変動に適応する能力をもつものだけが生き残るという適者生存を原則とするものだった。それはいわば競争社会を生き抜く男性的な視点である。

しかしマーギュリスの説く細胞レベルの共生進化論は、原核生物と光合成細菌やミトコンドリアが共生関係を構築することによって光合成を行なう植物や私たち人間のもつ真核細胞が形成され、環境条件の変化に適応進化してきたのだという。これは競合ではなく共生関係を重視する女性的な視点に基づいた進化論である。

この共生進化論がフリタージュとどのような関係性をもつのかを今後検討していきたい。

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2017/08/21

夏休みの自由研究

暑い日々が続いているが、この夏の自由研究としてMRETウォーターによるカイワレダイコンの栽培を行なってみた。以下にその概要を記しておきたい。

Imgp3859市販されているカイワレダイコンの種子を20個ずつ選定し、ガラス容器に入れたスポンジにMRETウォーターを浸み込ませて、その中央部にそれぞれの種子を置いた。左側が30分活性水で、右側が60分活性水である。

Imgp3864MRETウォーターは市販の浄水器(東レ・トレビーノPT303)を通した浄水を活性処理して使用した。毎日の蒸発量は少なかったので、最初に活性化したMRETウォーターをスプレーに入れて冷蔵保管し、水分が少なくなったときに補充した。

Imgp3868実験開始から3日目にはそれぞれの種子が発芽の兆候を示した。画像からもわかるように、60分活性水を与えた種子のほうがより多く発芽しているこようにみえる。

Imgp3869実験開始から4日目には、それぞれの種子から新芽が伸びるようになった。この時点から光合成を促進するために、日中にはベランダにガラス容器を置いて日光に当てるようにした。

Imgp3871発芽は60分活性水のほうが多かったように見えたのだが、30分活性水のほうも新芽が出てから成長が早くなったように見える。




Imgp3874それぞれの成長は順調に見えたが、中央に種子を密集させたためにお互いの成長の邪魔するような形になり、なかなか成長できない新芽も現れた。

Imgp3875実験開始から7日目の状態。これ以降はほぼ成長の状態に変化が見られなくなった。30分活性水のほうが生育状態が良いように見える。

Imgp3876実験開始から10日目の状態。成長のピークは超えたと思われたので、この時点で実験を終了した。

Imgp387730分活性水を与えたカイワレダイコンの生育状態。5本ほどの新芽が7cmを超える成長を示している。

Imgp387860分活性水を与えたカイワレダイコンの生育状態。7cmを超える新芽は1本に過ぎない。

ヴィソツキー博士の実験では、30分活性水より60分活性水を与えた植物のほうが全般的に良好な生育状態を示していた。しかし今回の実験では30分活性水のほうが良い結果を示している。

植物の品種によって実験結果のばらつきが出ることはドクターの実験でも示されているので、これはこれとして大らかに受け入れるべきだろう。ドクターが使用したのはウクライナで入手できる野菜の品種であり、また使用された水も日本の軟水とは少し異なる成分が微量に含まれていた可能性もある。

今回の実験では種子を密集させたため、一つ一つの新芽にとって成長環境が最善ではなかったかもしれない。また事前に種子をMRETウォーターに浸していれば発芽状態も異なっていた可能性もある。これらの点は今後の実験で試してみようと考えている。

なお生育したハツカダイコンはドレッシングをかけておいしく頂いた。心なしか苦味が強く感じられたことが印象的である。















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2017/08/06

ポーリングの仮説

ライナス・ポーリングはノーベル賞を2回も受賞したアメリカの生化学者であり、分子構造解析のスペシャリストである。『MRETウォーター・サイエンス』におけるヴィソツキー博士の立論も基本的にはポーリングのクラスレート・モデルを踏襲している。

ポーリングがクラスレート・モデルを提唱したのは1959年に公表された「水の構造」という論文においてであり、ワトソンとクリックのDNA二重らせんモデルとほぼ同じ時期である。ちなみにポーリングは彼らより早くDNAの三重らせんモデルを構想していたらしい。

ポーリングは様々な分子構造の解析を進めるうちに、それらの相互作用によって生体組織の現象を解明できると考えるようになった。そして彼は1961年7月の『サイエンス』に「全身麻酔に関する分子理論」という論文を公表している。それは全身麻酔の作用が大脳に形成されるクラスレート・ハイドレートの微小結晶によって引き起こされるという、極めて独創的な内容になっている。

このポーリングの仮説は半世紀が過ぎた現在でも正しいのか間違っているのかは証明されていないらしい。おそらく彼はクラスレート構造が人間の意識や記憶作用に何らかの形で関与し、それによって麻酔効果が引き起こされると考えていたようである。

ちなみにこのクラスレートの微小結晶は麻酔薬によって誘導されるものなので、MRETウォーターのクラスレート構造とは単純に同一視することはできない。

推測として考えられることはMRETウォーターと同じように、クラスレート構造が形成されると電気的パラメーターが変化することをポーリングはつかんでいたのかもしれない。それによって脳波の伝達やシナプスの結合、ニューロンの反応に影響を与えることは考えられる。

全身麻酔に関する彼の仮説が正しいかどうかはわからない。しかしその立論の背景には、精神活動に対してクラスレート構造が何らかの影響を与えているというポーリングの潜在的な確信が存在している。そして彼の確信を科学的に立証することがこれからの私たちの課題になるだろう。

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