5月25日、朝から雨が降り続く不穏な天気だった。荷物を抱えて傘を差し、駅に向かうバスに乗り込むところから今回の旅はスタートした。
ドクターから会場に掲示するポスターを印刷して持参してほしいという依頼を受けていたが、地元のカメラ店では二週間かかると言われて断念し、ネットで見つけたプリントショップにオーダーして、出発直前に届いたポスターを雨のなか運んでいた。
ところがせっかく作ったそのポスターを駅で紛失したまま新幹線に乗り込むことになった。もともとドクターから無理に依頼されたものなので仕方がないと思ったが、弟に連絡するとあるネットショップを教えてくれた。
その店を調べると、ちょうど盛岡駅の近くに店舗があるらしい。そこで成田のホテルに着いた時点でポスターのPDFデータを送付し、盛岡に着いたら受け取ることができるように手配した。
5月26日、ホテルをチェックアウトすると、少し時間があったので久しぶりに成田山に行くことにした。前回に行ったのはおそらく8年以上前だったが、今回は少し天候が悪く、ひととおり回って写真を撮るばかりだった。
その後、成田空港のターミナル1に行ってドクターの到着を待ったが、フライトはすでに到着済みだったが、なかなかドクターは出てこなかった。
ようやく再会したドクターは7年前とさほど変わらない印象を受けた。相変わらず饒舌で健康そうなのは何よりだった。
京成本線に乗って上野に向かったが途中で遅延があり、上野で乗るはずの予約していた新幹線に乗ることはできなかった。後続の新幹線も満席ということだったので、仕方なく新幹線のデッキで立ち続けるはめになった。
結局、仙台からは空席に座っていいと女性の車掌から言われたので、1時間半立ち続けた後にようやく席に座ることができた。
盛岡に着いたのは夜の8時前だった。プリントショップはまだ開いているようだったので、電話で場所を確認して印刷されたポスターを受け取った。
その後ICCFの会場に向かい、ポスターを掲示したあと、ドクターをホテルに送ったが、何かフロントともめているみたいなので話を聞くと、ドクターの名前ではなくICCFのスタッフの名前で予約されているという。そこで宿泊者の名前を変更してドクターをチェックインさせた後、自分のホテルに向かった。
5月27日、晴れてはいたが風が強く、肌寒い日だった。この日ICCFの会場では夕方からドクターの講演が行われたが、それはフリタージュではなくE-catに関するものだった。
ドクターの講演を聞いたあとにその事件は起こった。ある会場のスタッフからパスカードの確認をされたが、私はドクターの付き添いでICCFの参加者ではなかったため、部外者は会場に入らないようにと警告されたのである。
確かに私はICCFに参加登録はしていないが、これまでいろんな学会に参加してきてこんな警告を受けたことはなかった。わざわざドクターを成田まで迎えに行き、電車代も新幹線のチケットも私が払ってドクターを盛岡まで連れてきたのである。なんなら会場に掲示されているポスターも私が全額出しているので、私のポスターである。労いの言葉の一つもあっていいところを部外者は立ち入るなというあしらいは怒り心頭に発した。
私はドクターに、もう二度とここには来ないからあとは勝手にしてくれと言ってホテルに引き上げた。
5月28日、自分でも不思議なくらい怒りの感情が続いていた。会場には行かないと決めたので、盛岡八幡宮と盛岡城跡に行って写真を撮ることにした。天候は安定してきたが、清々しい気分にはならなかった。
一刻も早く盛岡から出たいという気持ちになっていたが、状況的には難しい。私はフリタージュ会議の準備を進めるために関係者に確認をとり、横浜に住む弟に手伝ってもらうことにした。今すぐ身動きはとれないが、意識の照準はすでにフリタージュ会議に向けられていた。
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