2017/01/03

ヴィソツキー博士の特許資料

昨年の第2回フリタージュ会議のときに、ヴィソツキー博士から教えてもらった元素転換反応に関する特許資料を少しずつ調べている。

2014patent
この特許資料は放射性核種を含有する水の浄化処理に関するものだが、2015年10月25日に公表されたものであり、ヴィソツキー博士とコルニロバ博士の連名で取得されている。ちなみに代理人としてA・D・クダコフという名前があるが、この人物はコルニロバ博士の同僚のようである。

この特許資料はロシア語で記述されているので、すぐにその内容を完全に把握することは難しい。しかしキーワードを見つけて過去の論文と照合すれば、全体的な概要を理解することは可能だと思う。

そこで英文のアブストラクトを少し翻訳してみたのだが、重大なことに気づいてしまった。その文章は明らかにドクターの英語とは異なる記述である。ということは、この特許資料はドクターが書いたのではなく、モスクワ大学のコルニロバ博士と代理人のクダコフがまとめた可能性が高い。

この特許資料は今後ドクターの研究を実用化するうえで非常に重要な資料なので、少しずつ翻訳していきたいと考えているが、ドクターが直接記述したものでないとすれば難航が予想される。しかしとりあえず前に進んでいくしかないだろう。フリタージュ研究に後退はありえないのだから。

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2016/12/26

ローマの中空十二面体

ゼムリアの資料を調べていて少し興味深いものを発見した。それは「ローマの中空十二面体」というものである。

ギリシャの哲学者プラトンは対話篇『ティマイオス』の中で、後に「プラトン立体」と呼ばれることになる正多面体について記しているが、いくつかの古代文明の出土品には多面体の形状をもつものが発見されている。その中でも特に奇妙なものは正十二面体の形をした人工物であり、それは通称として「ローマの中空十二面体」と呼ばれている。

Dodec1この「ローマの中空十二面体」の一般的な形状は正十二面体の各面に円形の穴が空いており、また各頂点には小さな球状の突起物が付いている。

中空十二面体の最も古い出土品はBC10世紀頃の古代イタリアのもので、エトルリア文明の産物と考えられている。またAD2世紀前後にはヨーロッパ各地で作られていたと見られる。

同様の形をした出土品はAD4世紀頃のアメリカでも発見されており、またBC5世紀頃のタイでは純金製の中空十二面体が発見されている。しかしこれらの中空十二面体がいかなる意図によって作り出され、またどのような形で使用されたのかについては全く不明とされている。

1142199_1ブルガリアの研究者R・コストフによると、中空十二面体は12枚の面をもっているためカレンダーや占星術の道具だという意見もあるが、純金や青銅で作られている点を考えると何らかの宗教儀式の用具かもしれないという。

私から見ると、この中空十二面体の形状はMRETウォーターのクラスレート構造に酷似している。時代や場所も異なる地域からほぼ同じ形状をもつものが発見されているということは、古代文明を築いた人々は直観的に水の本質を理解していて、それを普遍的な象徴として表現したのかもしれない。興味のある人は "Roman Dodecahedron"で検索してもらえば新しい知見が得られるだろう。



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2016/12/20

MRETスタンド

ヴィソツキー博士の講演会以降、様々な方からMRETアクティベーターのご注文を頂いている。その活用方法についてはひととおりお伝えしていると思うが、創意工夫してMRETウォーターを楽しんで頂きたい。

たとえば年末にかけて大掃除をされる方も多いと思うが、MRETウォーターには雑菌の繁殖を抑制する効果もあるので拭き掃除には最適である。ただし寒い時季の水掃除は辛いという方はスプレーに入れたMRETウォーターを吹きかけてウエスで拭き取るという方法でもよいと思う。汚れたウエスは漂白剤を加えたMRETウォーターに浸してから乾燥させれば臭いも抑制されるので試してみて頂きたい。

また化粧水や健康飲料を活性化させたいという方もいると思うが、いちいちアクティベーターの容器に移し変えるのは手間もかかるしロスも出る。そのような場合は以下のMRETスタンドを参考にして頂きたい。

Mreta左の画像は綿棒のケースを加工して作ったものだが、発信体の直径は5cmなので、同じ大きさの穴を底にあけて蓋の枠を接合させるとこのようなスタンドになる。

ただしこれでは小型の容器に入ったものしか活性化できないので、アクリル板を使ってもう少し大きなスタンドを試作してみた。

Mretc左がそのスタンドだが、180×320mmのアクリル板を加工して六本脚の形に仕上げている。

一辺30mmの六角形が発振体の周囲に外接しており、脚の部分はアクリルヒーターによって曲げ加工を行なった。これならかなり大きい容器にも対応することが可能である。

発振体の重さは約250gだが、六本脚なので2mm厚のアクリル板でも強度は十分である。ただし四本脚にする場合はもう少し設計を変える必要があるだろう。それぞれの用途に合わせて参考にして頂ければ幸いである。

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2016/12/12

キャプテンフューチャーとフリタージュ

Resize_image今から38年前の1978年にNHKで『キャプテンフューチャー』というSFアニメが放映されていた。このアニメはその後一度も再放送されることはなかったが、今年になってようやくブルーレイBOXがリリースされた。

当時私は中学生だったが、そろそろ子供だましのアニメ番組に興ざめを感じていた。そこでこの作品にもあまり期待はしていなかった。

ところがその内容はたしかにサイエンス・フィクションなのだが、科学考証がしっかりしていてストーリー展開にも合理的な説得力があった。どちらかという文系人間の私が理系に進んだのはこのアニメがきっかけだったといっても過言ではない。

当時はビデオデッキの販売も始まっていない時代なので、毎回テレビにテープレコーダーを接続して録音し、繰り返し聴いたものである。そのため今でも主要な台詞は明確に覚えている。

今回リリースされたブルーレイを観ると、「幻影の惑星」という回の中に<神の灰>というものが出てくる。それは戦いを拒んできた原住民が地球人の侵略に対して使った最終兵器である。この<神の灰>はある種の微生物の胞子であり、休眠状態で金属に付着すると急速に腐食作用を生じるものとして描かれている。

原作者のエドモンド・ハミルトンが『キャプテンフューチャー』シリーズを公表したのは1940年代なので、ケルヴランの元素転換説を知ることなく構想されたものらしい。SF作家の想像力もあながち非現実とはいえないかもしれない。

年末年始はどのみち観たい番組もないと思うので、『キャプテンフューチャー』の世界観をじっくり楽しみたいと考えている。


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2016/12/02

MRETアクティベーターについて

ヴィソツキー博士の講演会の終了後に数名の参加者の方から話しかけて頂いたことは普段孤独な作業をしている私には特に印象深いことだった。できれば時間の許すかぎりお話したいところだったが、挨拶程度でお別れしなくてはならなかったことは心残りではあった。

その後、七沢研究所の方々と夕食を共にしたあと、ホテルの前で羽田空港に向かうリムジンバスに乗りこんだドクターを見送った。後に届いたメールによると羽田発の飛行機が遅れたため、キエフまでの乗り換えも大幅に遅れが出たそうである。

ようやくゆっくり寛げると思ってホテルに入ったところ、スマホに何件かメールが届いていた。驚いたことに、それはつい数時間前の講演会に参加された方からのMRETアクティベーター注文のメールだった。

MRETアクティベーターについては、かつては小冊子『MRETウォーター』も作って普及販売していたが、研究内容の無断盗用が続発したためにこのブログでは情報公開を中止している。ヴィソツキー博士の研究に対するリスペクトもなく目先の利益のために無断で情報を流用しようとする者がいるかぎり、この方針を変えるつもりはない。しかしMRETアクティベーターの購入者には難しい理論はともかく、実践的な面で適切なサポートをしていきたいと考えている。

また皆さんもご存じのとおり、アメリカ大統領選以降に為替レートが急激に変動している。為替レートが10%も変動すると商品だけでなく輸送コストも高騰するため、来年以降はMRETアクティベーターを値上げせざるをえないかもしれない。年内にご注文頂いた方は現行の価格のままなのでご安心頂きたいが、来年以降は価格を改定する予定なので、購入を検討されている方にはご了承頂きたい。

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2016/11/25

東京講演会

ヴィソツキー博士の講演会は予定時刻を少し過ぎてから開始された。初めに七沢研究所代表の七沢賢治氏の講演に引き続き、ドクターによる元素転換の講演が始められた。

講演内容自体は、5月に奈良で行なわれた第2回フリタージュ会議とほぼ同じだったが、今回は元素転換とMRETウォーターについて各1時間のスケジュールだったため、ドクターにはあらかじめCCSなどの理論的な部分は省略してもらうように依頼していた。
ドクターもその点は配慮してくれたが、それでも時間内に収めるのはかなり厳しい試みだった。

特に今回はこれまでの会議とは異なり、ヴィソツキー博士の研究について予備知識をもっていない方が多かったので、そのあたりもできるだけ配慮したつもりだが、どこまで伝えることができたのかについては定かではない。

もう少し時間があればというのは言い訳になるが、ともかく限られた時間の中でポイントを踏まえて切り込んだつもりである。後は質疑応答のときにフォローしようと考えていたのだが、時間が押して打ち切りになってしまったのは残念だった。

今回の講演会には日本各地から多くの方に参加して頂いた。貴重な時間をさいて参加して頂いたそれぞれの方が、この講演会を通して何かをつかんで頂けたのであれば、ドクターも私も嬉しく思う次第である。また講演会を終始サポートして頂いた七沢研究所の方々には改めて感謝の気持ちを表したい。

人との出会いは一期一会だという。次にこのような機会があるかどうかはわからない。それでもそれぞれの道を進んでいけば、いつかまた肝胆相照らす日が訪れるかもしれない。

本当に頂上を目指している者は、頂上を目にすることはない。自分の足元を見つめて一歩ずつ進むことしかできない。それでも周りの風景はほとんど変わることもなく、登っているのか迷っているのかわからなくなる。しかし、たどり着いた者だけがそれを語ることができるのである。それは遠くから頂上を眺めて一歩も進まない人間にはわかりえない世界である。

いつかまた、たどり着いた所で語りあうことを私もドクターも楽しみにしている。


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2016/11/18

福島から東京へ

福島大学から駅前の除染情報プラザに戻ると、私たちは預けていた荷物を受け取って新幹線に乗りこんだ。東京駅に着くとそこから新宿に向かうタクシーに乗ったが、ドクターはしきりに写真を撮っていた。

東京都庁前の京王プラザホテルに到着すると、都庁を見上げていたドクターはシンガポールにも同じようなツインタワーがあると言っていた。ホテルにチェックインしたあと、七沢研究所の方々と会食をともにしたが、ヴィソツキー博士の研究やこれまでの経緯について相互に理解が深まった一時だった。

翌日、講演会を行なう会場に向かうためにホテルのロビーで七沢研究所のスタッフの方と待ち合わせの約束をしていた。私とドクターはエレベーターでロビーのあるフロアに向かったが、ここでドクターが場所が違うと言い出した。私は不審に思いながらも、そういえば天井のシャンデリアの形が少し違うことに気がついた。

ドクターはここではなく別のフロアではないかと少しパニックになりかけていたので、私はホテルの従業員に別のフロアにも受付けロビーがあるかどうかを尋ねたが、ここだけだという返事だった。おかしいなと思いながらもそのロビーを進んでいくと右手に曲がるコーナーがあり、そこでようやくスタッフの方と合流することができた。

タクシーに乗って講演会の会場となるホールに向かうと、80名ほど収容できる大きな会場だった。これまで私はフリタージュ・ブックスの購入者とお会いしたことは数えるほどしかなかったが、今回の会場は東京ということもあり、以前にお会いした方も何名か参加されていたことはとても嬉しく思われた。

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2016/11/08

環境放射能研究所

仮置き場や仮設住宅を見てまわったあと、私たちは再び福島駅前の市街地に戻ってきた。運転手の山本さんに福島大学の場所をたずねると、駅から少し離れた小高い山の中にあるという。「行ってみますか?」と言われたので、つい反射的に「行きましょう。」と答えたのだが、環境放射能研究所からは全く返事が届いていなかった。ともあれ行ける所まで行くだけである。

緑豊かな山あいの道を進んでいくと、福島大学を示す標識が見えてきた。校門のゲートを通過すると経済学部の校舎の前に地図があったので、とりあえず大学の事務局に問い合わせることにした。

事務局に入った私たちは大学の職員に研究所の見学目的を伝えると、研究所の方に連絡を取ってくれた。しかし15分ほど待っても誰も来る気配がない。しびれを切らせてもう一度職員に確認すると、ようやく研究所の職員が現れた。

私が事前にメールで連絡した経緯を伝えると、メールを見落としていたらしいとの返事で、研究所を見学させてもらえることになった。

研究所の職員と私たちは構内の曲がりくねった道を歩いていき、環境放射能研究所の研究棟にたどり着いた。研究棟は比較的新しい建物で、隣ではもう一つの研究棟の増設工事が行われていた。

私たちは職員の方に案内してもらい、様々な分析装置や研究試料の保管室などを見てまわった。また現在は共同スペースの研究室で各研究者が作業に従事しているとのことだった。

Imgp3157a_2大学の職員に元素転換といっても不審に思われるかもしれないので、ドクターは微生物を使用した除染方法の研究をしているとだけ伝えておいた。ドクターにとってはこの研究所の充実した設備はうらやましく思われたようである。ともあれ、結果的に所期の目的を達成することができたことは何よりだった。

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2016/10/28

福島の光と影

福島を訪問するに当たって私は事前にいくつか目ぼしい候補地を探していた。福島原発の現状をドクターに見てもらいたいと思って東電に問い合わせたが、スケジュールが一杯で対応できないと断わられた。ヴィソツキー博士の講演会に参加を予定していた福島在住の方に連絡をとると、福島駅の近くに除染情報プラザという施設があり、また福島大学には環境放射能研究所があるので対応してもらえるだろうとのことだった。

そこで仙台に向かう前に環境放射能研究所にキエフ大学の教授と訪問するので見学させてほしいとメールを送ったが、返事は返ってこなかった。この研究所にはドクターと同じキエフ大学の研究者もいたので個別にメールを送ってみたが、当日は海外にいるとの返事だった。

福島駅に到着したのは正午近くだった。駅から少し離れたビルの1Fに除染情報プラザがあった。そこにはガイガーカウンターで放射線を測定するコーナーや福島の現状の取り組みを示す資料が多数展示されており、ドクターはそこの所長にいろいろと質問していた。私たちは他に除染の現状を見られるところはないかと尋ねると、ハローワークの近くに汚染された土壌の巨大な仮置き場があり、その横に仮設住宅があることを教えてもらった。

除染情報プラザに荷物を預かってもらい、私たちは駅前のタクシーに乗りこんで仮置き場に向かった。強い日差しが夏のなごりを感じさせる日だった。森田さんの話しかけに応じて運転手の山本さんは福島の被災者の現状を淡々と語ってくれた。自治体によって補償の格差が生じていたり、賠償金でギャンブルに手を出す人もいれば家を建てた人もいるそうである。

Imgp3153aハローワークの横の仮置き場はそこそこ大きな運動場ぐらいの規模で、現在の線量を示すデジタル表示盤が設置されていた。おだやかな晴天に似つかわしくない異様なモニュメントだった。私たちは山本さんにお願いしていくつかの仮設住宅を見てまわったが、そこに住まう人の姿を見ることはなかった。

私にとって一番ショックだったのは、仮設住宅の外壁に花や音符のようなモチーフがカラフルに描かれていたことだった。住む土地や人とのきずなを奪われて、仮置き場の横のプレハブで誰が楽しげに暮らせるものか。復興という言葉の裏側で何がないがしろにされているのかを、私たちは知らなければならないのだろう。

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2016/10/23

誓いを叶える日

10月7日、この日私たちは仙台から福島、そして東京へと向かった。七沢研究所のスタッフの方とはAM10:00に仙台駅で合流する予定だったので、9時半にホテルをチェックアウトして駅に向かった。

その途中にICCF-20の会場になったAERビルがそびえ立っているが、私はタラセンコ教授のポスターのことを考えていた。彼は私にポスターをプレゼントしてくれるといっていたが、勝手にポスターを剥がすのも気が引ける。合流時刻も近づいていたし、せっかくのご好意だが諦めるしかないか。。

そう思いながら会場のビルを通り過ぎようとしていたら、突然ドクターが「タラセンコと話をしたんだろう?ポスターを取ってくるからここで待っててくれ。」と言い残してビルの奥に消えていった。私はあぜんとしながらも、そういえばドクターとタラセンコ教授は長年の友人だと言っていたことを思い出した。おそらく昨日私が帰ったあとにタラセンコ教授がドクターに伝えてくれたのだろう。

ほどなくしてドクターは自分のポスターとタラセンコ教授のポスターをかかえて戻ってきた。ポスターが手に入ったことも嬉しかったが、私のために二人が協力してくれたことがとても嬉しく思われた。

この日は秋晴れの好天だった。仙台駅で七沢研究所の森田氏と合流すると、私たちは福島に向かう新幹線に乗りこんだ。三年前に仙台でフリタージュ会議を開催したときにはスケジュールの都合で福島に立ち寄ることはできなかった。

チェルノブイリ原発事故を経験したドクターは、あのとき何もいわず窓の外を眺めていたが、その思いは切なく伝わってきた。私は次の機会があれば必ず福島を訪れようと心に誓っていた。そして今、その誓いを叶えるときが来たのである。

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